K5(けーご)の競輪、自転車談義

人生はそろそろ打鐘周回へ…

松阪記念【G3】蒲生氏郷杯王座競輪

松阪競輪場は昨年の記念開催終了後より管理棟の改修工事に入り今夏に改修工事を終えおよそ1年ぶりの開催がF1戦を経て記念開催となりました。

特別競輪(G2)後の開催で来月にはさらに特別競輪(G1)となり、狭間の開催で斡旋メンバー的にも土曜始まりの開催日程が売上的にも盛り上がらなそうな記念開催となってしまった松阪記念である。

主役不在?期待かかる地元勢

SS2人の郡司と新田に加え新SSの山口拳矢や地元浅井に期待がかかるところだが、郡司、新田は前走の共同通信社杯では精彩を欠く走りでSSとしては冴えない結果となってしまっているが、負け戦の内容を見てみると一目瞭然であった。

郡司は2 2 3着なのに対し、新田は8着の後、欠場。この時点で郡司の復調具合は見て取れた。

一方で浅井と山口拳矢は決勝までの勝ち上がりはできなかったものの良い走りを見せていただけに期待もできるし、何より地元地区の記念を獲りたいと共同通信社杯前からこの松阪にかけている気持ちは伝わっていた。

初日特選では新田が試したいことがあるということで、福島勢と宮城勢で分かれて戦うこと。話は一旦それるが、よく前日コメントで「試したいことがある」といコメントをする選手についてだが、特選や勝ち上がりに関係ない場面だとしても試したいことは練習で行うべきだと思う。レースでしか試せないのであれば何を試すのか、までいうべきではないだろうか。作戦のことなので話せない、というのであれば最初から言わないべきだと思う。購入者は選手の残すコメントを選手が思っている以上に参考にしている。

試したい事は成功したのか?何を試したのか?よくわからなかったが結果、郡司新田浅井山口と注目メンバー4人で上位独占という結果になった。しかし郡司–新田–浅井の3連単で125倍、2車単で27倍ということは期待されていなかったのが良くわかる。

若きSS故の試練

初日に上位独占した4名は再度決勝で激突かと思いきや、なんと山口拳矢が二次予選で敗退、そして欠場という始末。

自身のピークを特別競輪に合わせるのはアスリートしては一流、G2とG1の間の記念で無理はしないというのはSS確定している山口拳矢としては普通なのかもしれない。
しかし競輪選手として山口拳矢の走りを楽しみにしているファンもいると思う。競輪選手もSSとなるとエンターテイナーとしての責任も出てくると思う。それも松阪とはいえ地元地区の記念だ。ファンの理想なのかもしれないが、ファンの理想を現実に変えていってもらいたい。これは若きSS故の試練かもしれないし、個人的には負け戦でも走り切る選手は好きである。

松浦悠士や守澤太志は欠場せずに走るイメージがある。反対に平原、郡司、新田は欠場のイメージは強い。

SSの苦戦

新田と郡司は初日こそワンツーが決まり、復調気味かと思いきや3日目に新田は打鐘からインをすくい、無謀とも取れるカマシで3着。郡司はハコ3に終わるという失態。前を回った野口を残そうとするあまり後ろから差されてしまった。本人は「番手を回った時に考えることが多く難しい」とコメントを残していた。3日目になると決勝への勝ち上がりを考えたり疲労もあり、なかなか思うように走れないものかと思いきや、浅井は連日1着で決勝への勝ち上がりを見せた。

浅井の心境に変化か?

やはり地元浅井が頭一つ抜け出ているか。なんて思っていたのも束の間、準決勝終了後に決勝の並びが発表されたが、なんと浅井が自力で皿屋が番手の並びで決勝を走るというのだ。なんと初めての試みだ。さまざまな憶測が飛び交った。

浅井の自力はともかく、皿屋は番手で何ができるのか?どういう意図があるのか?昨年は皿屋−浅井で並び浅井が落車するというアクシデントに見舞われたから?地元浅井なんて言われているが浅井のホームバンクは四日市で皿屋のホームバンクは松阪である。このことから浅井が皿屋のために前を駆けるのか?少なくともかつての浅井であれば悪いイメージ払拭のために並びを変えたり、ホームバンクの選手のために前を回るなんてことはしなかった。よくも悪くも浅井は勝利に貪欲である。が故に”ラインを大事にしない”自分よがりな競輪”と揶揄されることも少なくない。しかしここで逃げに出て地元でワンツーか、または皿屋を優勝に導くなんてことがあれば…思えば彼ももう40手前である。同地区の若手山口拳矢の台頭があり、色々思うことはあるのかもしれない。心境に変化があったのかもしれない。と思ったのも決勝の2周回目で間違いに気づく…

変化という難しさ

スタート直後、山田と新田でSを争ったが、1番車を活かした浅井が半ば強引に前受け。ところが誘導が退避する前に郡司に明け渡し、その上を山田が叩く、さらにこの状況を待ってましたと言わんばかりに菅田が先行、北日本が主導権を取った。この時点で三重の2人は最後方…なぜ?誘導退避前に譲るくらいなのに強引に前受けをしたのか?前受けしたなら逃げまたはカマシはあるかと思いきやカマシのタイミングでは菅田のが1歩も2歩はやくて、とてもじゃないが叩けるようなタイミングではなかった。かます気もないように見えた。そのままバックを迎え中段から捲りでた郡司が優勝するわけだが浅井も最後方から捲りに出て4着に入る末脚を見せた。がこれでは何も変わっていなかった。前日にいろいろと考えたが無駄であった、人はなかなか変われないのであろう。前を回ったのは皿屋のタイミングではなく自分のタイミングで仕掛けたかったということなのではなかろうか…浅井康太は浅井康太であった。

おわりに

このレースにはもう1人変われない男がいた、菅田がオールスターの不甲斐なさを取り返すべく、新田のために前を駆けたいと初日から言っており決勝でその並びが実現すると有言実行。絶好のタイミングで先行しホームでは相当かかっており3車身以上離していた。3コーナー手前で菅田が力尽きると新田も力尽きた…お手本のようなツキバテで郡司にあっさり捲られた。

競輪選手は晩年、自力選手から番手選手になり若手に前を回ってもらうといった変化をよくみるが3日目の郡司のコメントにもあるように番手選手の難しさ、ベテランであるからこそできる番手のスキル、メンタルがあるような気がする。

 

人は簡単に変われないというが、変われる競輪選手は一流であるということだ。

 

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